学校給食でも愛され続ける信頼の調理冷凍食品。

全国の学校給食で親しまれているさばの味噌煮をはじめとする、業務用調理冷凍食品のパイオニア。
これからも、おいしさと、安心、安全をおとどけします。

味・素材

ここ気仙沼で、いつまでも懐かしんでいただけるおいしさをつくり続けています。

味・素材

設備など

現在はまだ生産体制が十分とは言えませんが、以前のように工場が復活するまで精一杯頑張っていきます。

設備など

仕事人

このおいしさを、
子供たちの胸に。

株式会社ヤヨイサンフーズ 生産本部 気仙沼松川工場長(兼)総務課長 小野寺瑞樹

子供たちが待ち望んだ
あの味の復活

なんだか懐かしい味がする。ひとくち食べた瞬間にそう感じた。子供の頃から食べ慣れてきた大好きな味…。
それもそのはず、なのかもしれない。かれこれ30年以上にわたって全国の学校給食用としても親しまれている、株式会社ヤヨイサンフーズの「さばの味噌煮」。それは、現在の小学生たちとその親の世代の、親子二代を育ててくれた味なのだ。
本社を訪れると、生産本部気仙沼松川工場長と総務課長を兼務する小野寺瑞樹さんに、2階へと案内された。
階段を上り終え、さてオフィスへという踊り場で、思わず足が止まった。そこで目にしたのは、壁に飾られた、全国の小学生たちからの集合写真や寄せ書き。おいしさへの感謝の言葉や、元気に卒業しますという報告などのほか、震災のあとに愛知県の小学校から届いた励ましの文面や集合写真もある。「震災のときには会社へたくさんの激励やお見舞いの言葉を、全国の子供たちからいただいたんです」と小野寺さん。「工場は被災してしまいましたが、なんとしてもその声に応えたくて…」と、今の場所を借り、わずか1ラインながら製造ラインを確保し、みんなが待ち望んださばの味噌煮を復活させたという。

苦労も喜びも学んだ
九州への単身赴任

小野寺さんは、生まれも育ちも気仙沼。高校時代は自転車部に所属し、ロードレースで活躍。県大会3位になり、東北選抜の一員として全国大会に出場した経験を持つ。自転車からバイクへとかたちは変えても、今なお二輪車が大好きで、時間があれば風を切って走るアウトドア派である。
気仙沼生活一筋の小野寺さんだったが、2010年に福岡県大牟田市の九州工場へ赴任する。家族を残しての単身赴任。
そこでは、いい意味で「カルチャーショックの連続でした」と小野寺さんは笑う。まずはいきなり言葉の壁。「地方独特のイントネーションが理解できるようになるまで大変でした」。生活習慣や文化の違い、よく食べる魚が違うことにも驚いたという。
小野寺さんが着任してから、会社が音頭をとって年に1度、大牟田市で「さんま祭り」を開催している。気仙沼から3000尾もの新鮮なサンマを届けて、地元の人たちに振る舞う催し。「学校給食だけでなく、こんなかたちでもたくさんの人と交流がはかれ、喜んでもらえるのは幸せな仕事です」と語る小野寺さん。心からの笑顔だった。

東北人の強い心で
頑張らなきゃ、ね

震災の辛い知らせは九州で聞いた。気仙沼のことがとても心配だったが、工場が被災したことで、多くの社員を九州工場に迎え入れ一緒に頑張りとおした。震災後も気仙沼の住所は変えず、復興のためにと地元へ納税を続けた。
小野寺さんは、九州の赴任で感じたことがあった。それは、九州男児と東北男児の違い。赴くまでは、世間一般で言われるように「九州男児は気性が荒い」というイメージだったが、行ってみて「いいや、それは東北男児のほう」と思った。乱暴者ということではもちろんなく、内に秘めている気持ちの激しさ。それはきっと東北人の方が強い。あの震災を経て、復興への道をたどる今、あらためて実感した。もしかするとそれは、震災を乗り越えて頑張っている、仲間や自分に対して言い聞かせている心の言葉なのかもしれない。
頑張らなきゃと思うとき、それは今。「工場が復活するまで、きっと毎日そう答えます」という小野寺さん。応援しています。全国の子供たちとともに。