世界に発信、気仙沼発、福寿のふかひれ。

鮫の水揚げ日本一の気仙沼で、ふかひれを中心とした加工商品を取扱う福寿水産。
「鮫匠ふかひれ煮」は、おいしさも、食べごたえも満点の人気商品。
鮫全体の有効活用や高付加価値商品の開発にも取り組んでいます。

味・素材

鮫は食材の宝庫。ふかひれは中華食材だけでなく和・洋食にも、軟骨(コンドロイチン硫酸)は薬品・化粧品へ、皮(コラーゲン)は皮革品の他美容食にも、肉(高タンパク低脂肪低カロリー)は切り身やはんぺんとして…限りある海の資源を丸ごとお届けします。

味・素材

設備など

徹底した衛生管理、品質管理の下、社員一人一人の手作業により、安全安心な商品づくりを行っています。

設備など

仕事人

ふかひれづくりは、
気仙沼の誇り。

福寿水産株式会社 専務取締役 臼井祐介 (現:代表取締役社長)

修業から戻り、入社。
父は、「父」から「社長」になった。

「いろいろな人が出入りして交流が盛んな街。大好きな街です」。福寿水産株式会社専務取締役の臼井祐介さんは、気仙沼のことをそう表現する。遠方から入港する船人たちや、父のまわりに集まる人たちとのいい出会いを、子供の頃から肌で感じて育ってきた。
輪のまん中にはいつも、義理人情に厚く、筋が通らないことには首を縦に振らない父がいた。「いつかは父のように…」。そんな憧れがいつしか芽生えた10代だった。
仙台の高校を卒業すると、埼玉の大学へ。そして大学卒業後は、東京の食材問屋やふかひれ問屋で働いた。「修業です。いい勉強、いい経験になりました」と振り返る臼井さん。
東京時代は、3連休でも取れれば海外へ足を運んだ。「気仙沼へ戻れば、大事な市場があって、まとまった休みを取るのは難しいので」。タイ、カンボジア、インドネシア、香港、マカオなどへ積極的に出かけて、食の見聞を広げた。
そして迎えた28歳。気仙沼へ戻り、福寿水産に「入社」する。臼井さんはその時から、父のことを父と呼ばなくなった。それからは、どんな時でも「社長」と呼ぶ。

「気仙沼の福寿」として。
おいしさで、お返ししたい。

福寿水産は、昭和23年創業。昭和50年から、本格的にふかひれ加工を行い始めた。
現在売られている人気商品「鮫匠ふかひれ煮」は、じつは震災後に生まれた商品。「震災のあと、復興支援のために駆けつけてくださる多くの方々に、お礼として出せるものをつくりたかったんです」と臼井さん。
気仙沼ができる、福寿水産ができる、感謝の気持ち。だからこそ、価格ありきではなく品質重視。食べごたえ、満足感のあるものを。
食べてみると、その言葉に偽りはなかった。ぷりぷりっとした食感、濃厚な味わい、ボリューム…かつて食した高級中華料理店のそれに勝るとも劣らない。
このほかにも、鮫肉を使った「ふか肉ハンバーグ」や鮫の軟骨粉など、さまざまな商品をつくっている。

ふかひれは、
難しいから、おもしろい。

鮫の水揚げ日本一の気仙沼。港にある魚市場へ臼井さんは毎朝6時に出向き、入札に参加し、仕入れを行う。そのあと午前中は工場で作業、午後はオフィスで事務仕事をする毎日。
見学させてもらった工場では、天日干ししたふかひれが種類や部位やサイズごとに選別され、それらを幾工程もの繊細な手作業が待ち受ける。お湯づけしてやわらかくし皮を剥ぎ取る作業。余分な肉を取り除く作業。さらに残った軟骨を取り除く作業。熟練のスタッフの手さばきは見事だった。
ここでていねいに処理されたものを乾燥させて「業務用」に。さらにボイルから味つけの工程へ進んで「鮫匠ふかひれ煮」となる。
ふかひれは、1枚1枚大きさや形がちがい、扱いに手間がかかる食材。「単純に大量生産できないところが、難しいところです」と臼井さん。しかし、だからこそ「つくる楽しさがあるし、日々新しい発見もあって、おもしろいです」とも。
とても温和な臼井さんは、じつは学生時代に陸上をやっていたスポーツマン。高校時代は400m走で東北大会出場経験を持ち、100mを11秒台で走るという駿足の持ち主。いつか、その馬力と、若さと、内に秘めた情熱で、前を走る父を追い抜くことだろう。