気仙沼のサメを、知り尽くし、活かし尽くす。

サメの身は、新鮮なまま、すり身やおとし身などの食材に。
サメの皮は、なめして、稀少な皮革製品に。
これからもサメの「新しい価値づくり」に挑戦しつづけます。

味・素材

良質なサメの宝庫・気仙沼で、どこよりもサメを知り尽くすムラタならではの高品質な食材、素材をお届けしています。

味・素材

設備など

現在は、食材を取り扱う工場が稼働。近い将来、皮をなめす業務部門を併設していく予定です。

設備など

仕事人

気仙沼のサメを、知り尽くす。
活かし尽くす。

株式会社ムラタ 代表取締役社長 村田真

「切る」その腕が見極める
サメの善し悪し

早朝の気仙沼魚市場。一歩中へ足を踏み入れると、そこにはさまざまな魚が種別ごとにずらりと並び、続々とやってくる海産業者の人たちが、入札を前に入念な品定めを行っている。
そんな中に、村田真さんの姿をみつけた。村田さんは、サメを取り扱う株式会社ムラタの代表取締役社長。朝、ここで仕入れた大量のサメを、トラックで自ら工場へと運ぶ。その回数、日に10往復以上。終える時間はその日の仕入れの量にもよるが、午後になってようやく、会社で社長業務を行ったり、工場の作業に加わったりする。
仕入れたサメを見極めることも村田さんの重要な仕事のひとつ。状態を見て、身の硬直がある場合には工場に併設されている貯蔵庫で寝かせておく。主に扱うヨシキリザメの身は、すり身やおとし身として、はんぺんなどの練り物の原料となる。
気仙沼生まれの村田さんは、小学生のリトルリーグ時代から野球で名を馳せた名プレーヤーだった。高校は静岡の名門・東海大学付属第一高校に進学、春・夏ともに甲子園に出場し、大学も同じく名門の明治大学へ、という輝かしい経歴の持ち主。その凜とした行動や態度のひとつひとつに、黙々と仕事に取り組む姿勢に、今なお野球魂が生き続けているように思えた。
大学卒業後は、築地の会社に就職し、そこで約2年間勤めたのち、気仙沼へ戻り株式会社ムラタの一員となった。入社後は、ひたすら10年以上も「切る」作業を続けた。「サメの善し悪しは、切り続ければわかる。切り続けて初めてわかる」と語る村田さんの言葉は、長い時間を費やした「経験」が語る言葉だった。

サメのすべてを有効活用。
そして付加価値を

ムラタでは、サメの「すべて」を有効活用している。身は食材となり、骨は健康食品の原料となり、そして皮も活かされる。ムラタのもう一つの柱ともいうべき業務が「サメ皮の加工」である。
毎日、多くのサメを扱うということは、多くのサメの皮が身近にあるということ。専務取締役の村田進さんは「気仙沼の宝を有効に活用するための新しい挑戦」と語ってくれた。
表面は滑らかで、柔らか。独特の模様があって、水にも強い良質な素材であるこのサメ皮を、なめして、さまざまな製品に活かすことでまた新しい可能性が見えてくる。
現在は、工場で処理した原材料となる「皮」を冷凍して、長野のサメの皮革会社へ送りこの工程を行っている。近い将来には、この部門を気仙沼に設けて、より一層力を注いでいくという。
いろいろ話を聞く中で、素敵な話を耳にした。ムラタのサメの皮でつくったペンケースが、気仙沼の成人式で、記念品として贈られたという。記念品にはぜひ地元の物を…と考えていた市の教育委員会から要請があり、ムラタが製作し、約600人の新成人の手に渡された。「ペンケースを通じて、地元への誇りや愛着を持ってほしいですね」と語る村田(進)さん。「そして将来、故郷に再びもどってきてもらうことにつながれば」とも。
取材の後、ある新聞に掲載された新成人の投書を目にした。気仙沼出身で、他県の大学に通う大学生から。「地元にはなかなか帰れないけど、このペンケースを毎日使って、故郷とのつながりを感じていたい…」。村田(進)さんの思いは、ペンケースを通じて、しっかり届いているようだ。
震災翌年に業務を再開したが、社長の村田(真)さんによれば「生産量はまだ以前の半分ほど」だという。ムラタは今、サメの街・気仙沼の誇りを胸に、チーム一丸となって頑張っている。